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ちょっと真面目な雑感 その1


2005年2月27日 江原さんのコンサートにて

その場で無造作に選ばれた公開カウンセリングの質問の一つです。
それは、おそらく30代のある女性の質問でした。
「もうすぐ5歳になる娘は、未熟児で産まれたために、全聾(と私には聞こえました)で、いくつか個性(障害)を持って産まれました。
子どもは親を選んで生まれてくる、というのが真実なら、本当に私で良かったのか?
私が母親なら大丈夫だと思って生まれてきたのでしょうか?」と。

江原さんは少し何かの声を聞くようにして、舞台にあがってきたその女性に答えました。
「間違いなくあなたを選んで、だから、あなたでいいんです」と。そしてそれは、彼女(お母さん)自身の強い希望もあったのですよ、と。
「え、私が??」 びっくりして聞き返す彼女。
「そうです、そういう子を持つことは、あなた自身が、(この世に生まれてくる時に自分の課題として)選んだことですね」と答える江原さん。
彼女自身が、今までの人生では結構勝ち気で、人生を思うように乗り越えてきたのだけど、子どもを持つことで大きく変わった部分があると。
こういう個性(障害とは言わない)のある子を持って、苦労することで、初めて気付くこと、自分を磨いていくことがあるのだと。
確かにそうです、ただその子がいるだけで(存在するだけで)いいのだと思えるようになったんです、と答える彼女。

その思いは娘に伝わっているのでしょうか、と訊ねる彼女に、江原さんは言いました。
その子自身については、現在とても苛立っている、と。「え、どうして?」意外なことを聞いたという顔のお母さん
その子は、自分の身体が思うようにいかないことに苛立って、とても怒りの感情をためている、とのこと。
その子自身もお母さんと似て勝ち気な性格の人であり、今までの人生(つまり前世)では、努力すれば何とかなるという人生を過ごしてきた。
気に入らなければ努力で変えてゆく、という人生を送ってきたのだと。
だから今回の人生では、自分の努力ではどうにもならない事、つまり努力してもどうにもならない事を、
自分がそこにいるだけで愛される、という純粋な愛について学ぶために、そういう個性を(わざわざ)選んで生まれてきたのです、と。
そしてさらに、言葉がわからなくても、いてくれてありがたいということを心をこめて話しかけて下さい、そうすれば、娘さんの表情が目に見えて変わりますよ、と答えておられました。
傷つくことは、磨くことと同じ。
人は自分にあった範囲の重荷しか背負えない、逆に言えば、この現世で重荷と感じることは、必ずは自分が耐えられるぎりぎりの範囲内にあるのだと。

これは2月22日夜の江原啓之さんの公演の後半、その場で回収された公開カウンセリングの一つでした。
公開することで、聞いているみんなの魂も成長します、の言葉はまさにそのとおりだと感じました。
彼女の質問用紙が選ばれたのは偶然ですが、きっと偶然などないのでしょう。選ばれるべくして選ばれたのだと思わずにいられません。

2005年2月15日 大阪の小学校での教師殺傷事件について

阪寝屋川で17歳の少年が教師を殺傷した小学校事件のことです。
こういう事件を防げなかった責任は、学校側には無いと思います。
実際に被害に遭われた方の縁者さんはそれでも出来ることはなかったのかと考えるとは思いますが、ああいう状態で、事態を予測できる人間はまずいないと思います。

問題は被害者側ではなく、少年の方。彼を救わなければ、問題は解決しないし、なくならない。
何かを破壊したくなる衝動に駆られる人は何人もいるかもしれない。
しかしそれを本当に実行してしまうまでには、抑止する力があるはずです。
彼を止める人はどこにもいなかったのか?家族は?友達は?
本当に彼の心を受けとめてくれる人はいなかったのでしょうか?彼の心に愛を注ぎ込む人はいなかったのでしょうか?
・・・そう問うと、答えは見えるように思います。
彼にはいなかったのだと思う。本当にありのまま、そのままでいいと愛してくれる人が。

心が愛情で満たされた人は、簡単に正気を失ったりしないものです。
残念ながら、子どもの心を精神的に満たしてくれるほど愛情深い親を持っている人はごく少数だと思います。
今の親ですら、さらにその親から“物質を与えることが愛情”だと思い違いして育てられた世代でしょう。
自分は子どもの時に与えてもらえなかったことを、今度は自分が子どもに与えるのは難しいことです。
私自身とて、親から「条件無しで愛された」記憶などありません。
そのトラウマから脱却し、ありのまま自分自身を愛することができるまでには葛藤が必要です。
今の社会は、こんな風に、「無条件で愛された記憶が無い」子ども達であふれかえっているのではないですか?

事件を起こす子どもが(そして大人が)増えるのは、ある意味当然ではないでしょうか。
心の「愛の電池」を充電させてあげなくては、また愛情の充電切れの子どもが同じような事件を起こすでしょう。
殺人者を生み出さない最大の対策は、子どもにあふれるばかりの愛情を与えることではないかと思います。
学校は、警備体制の強化よりも、愛情が電池切れにならない子どもを育てる方向に力を向けるべきでは?、と私は思います。











2003年12月2日(火) 西安暴動事件について

西安のある大学で破廉恥な出し物をした日本人学生と教師の行為に端を発して、日本人に対する暴動事件がありました。
新聞の取材記事では、ヒートアップした中国人学生をはじめとする市民達は、日本人を求めて大学や寮内に押し入り、事件とは全く関係のない日本人学生を殴り、部屋の中の物を破壊し、止めようとしたガードマンや大学関係者も殴りつけ、市内の日本料理屋にまで押し入ったとのこと。
韓国人やアメリカ人の学生が部屋にかくまったり、寮の管理人が学生はいないと守ってくれたりしたとのこと。
もちろん、日本では下品な悪ふざけで通るものを、そのまま外国でも通用すると思いこんだ学生の軽はずみな行動は、呆れるしかしょうがない馬鹿な行動だと思う。
だが、それが日本人排斥の暴動にまで発展するのか?
私がショックを受けたのは、そんなにも多くの中国人が、まるで狂ったように、事件とは明らかに無関係の者に対する暴動に加わったということだ。
いったい何故??
それほど日本人に対する反感が大きいということなのか??
それとも中国の社会に対する不満や不平が蔓延し、治安が悪化しているということか?





2003年10月12日(日) 良きものを愛す

1年ぐらい前から小泉総理政府のメールマガジンを購読しています。
読み終わった後に、アンケートと感想書いたりしています。時々先週号の感想に掲載されたりするので面白い。
もっとも、イラク戦争の時などは読んでも腹立たしいだけだったので文字面だけ眺めて捨てていました。
アメリカに諫言することすら出来ない日本政府ですが、総理自身もこの態度を変えるつもりはないようです。
この件に関しては大変失望しています。
でも、最近再びメールマガジンは読むようになりました。毎日に直接関わるわけではなくとも、政治に無関心ではいたくないし、
マスコミという相当にゆがんだフィルターを通さないで政府から直接発せられる情報というのは貴重だと思うからです。
情報を知らなかったというのは、自分が知ろうとしなかったからだ、と後で後悔したくはないものです。
小泉総理の政治のあり方を全て肯定する気はありませんが、国民に情報を提供しようという考えは評価できると思います。
政治の良否は、政治の中枢にある人の人間性に大きく左右されます。古来から、どんな体制であったとしても同じ事です。
さまざまなしがらみや力バランスの中で、自分が正しいと思うことをどこまで実現していけるのか?
そもそも正しいと思うことを(自分の利益よりも優先させて)実現しようという気があるのか?
個人の力ではどうしようもない大きな問題によって苦しみ続けている人がいるという状況で、それを正す事が出来る地位についた時、きちんとそれを正す事の出来る人であるのか?
間違った事を間違っていると言い、良きものを愛することが出来る人であるのか?

今総理が進めている改革の方向が正しいのかどうか、私にはまだよくわかりません。
私にわかるのは、基本的にどういう人であるのかということだけです。
以前メールマガジンの中で、総理と語ろうという催しの様子が掲載されていたことがあります。
公募で抽選に当たった、高校生、幼い子を持つ主婦、中小企業の社長、教師、高齢者などいろんな方が率直に総理と語った会話は、それぞれに興味深いものでした。国政にはねかえるほどの内容かどうかわかりませんし、良いPRであったのかも知れませんが、1人の言葉が心を動かすこともあるでしょう。
その中で、最後に視覚障害者の青年との話で、総理がここまで来るのは大変だったでしょう、ご苦労さまでした、と言うのに対し、その方は、目が見えないからこそ出来ることもあります、と答えたのです。
それに対し小泉総理は、確かにその通りだ、あなたに教えられました、と答えました。
日本の政治家で、そんな風に答えられる人が何人いるのか?
そう思うと、もう少し信じてみようかとも思います。
アメリカの行動に対し何の意見もないところは気になりますが、良きものを愛し、正してゆける人が政治の頂点にいて欲しいと願います。


2003年3月18日(火)  真実を見抜くこと

アメリカが、イラクに戦争を仕掛けようとしています。
イラクが国連を欺いて、大量破壊兵器を持っていたら、それが何故、アメリカが攻め込む理由になるのでしょう?
アメリカ自身が大量破壊兵器を持っているのではないのでしょうか?
世相やら常識やらでもやもやして考えがまとまらなくなったら、単純に戻って考えてみましょう。
それは、ブッシュの行動の動機は何か?ということです。
その動機に真実があるならば、何も言わずとも、人の心はちゃんと付いてきます。
彼が、「欲」から戦争を欲しているのなら、それはどういう形であれ、彼とアメリカという国にいつか戻ってきてしまう。
単純だけど、これは真実です。
いくら言葉で正義と繰り返しても、それが真実でないのは明らかです。
行動に真実がないから、誰もその言葉を信じないのです。
愚直でも、詐術がなくとも、正当に世の中を導く人であって欲しい。
行動の真実を見抜く、まっすぐな目を持ち続けていましょう。
戦争は回避できる、その言葉に言霊が宿るよう、口に出して自分の精神が流されないようにしたいと思います。


2002年10月30(水)  テロに思うこと


このところ、悲惨な事件が続いています。
バリ島での爆破テロ、アメリカでの無差別発砲事件、日本での議員暗殺、ロシアでの劇場占領事件など。
テロに対しては、毅然たる態度で臨むべきだ、と多くの人が言います。
しかし、テロに対してどう臨むか、という態度では、テロはなくなりません。
それはあくまで、対処療法にしか過ぎないからです。
テロを無くすには、テロがなぜ生まれるかを考えなくてはいけません。
テロや暴力という形で、自分の思いを表現する者は、確かに以前から存在していました。
しかし、最近は、実際にテロという行動を取る人が増加しているということです。
(もちろん、昔からあるからしょうがないというつもりはないし、少なければいいという問題でもありませんが)

ではなぜ、暴力という形で訴えようとする人は増えているのでしょう。
テロのような大きな事件になるかどうかは別として、暴力事件自体が増えているそうです。(日本でも刑務所が足りなくなっているとか…)

自分自身の心に問いかけてみると、私も自棄な行動を取りたくなる時があります。
何もかも壊してしまいたくなる気分になる時だって、ないとは言えません。
それが実際に行動にうつるには、いろんな条件があると思います。
心や体が傷ついた時、不愉快な思いがたくさんたまって、自分のコントロールが出来なくなった時。
それらが、今まで大切に感じていた慣習や人を傷つけてはいけない、という思いを越えてしまった時、他人に暴力をふるうという行動になってしまうのでしょう。

政治問題に対するテロは、個人の暴力のように単純ではありませんが、同じ問題に対して武力以外の方法で解決を図ろうとする人もいるのです。
テロという方法を選んでしまうのは、本人の中に暴力を認めてしまう精神があるのは間違いありません。

人間には、自分自身の個人意識の他に、集合意識というものがあります。
100匹目の猿の話を知っている方も多いと思います。芋を洗うことを知った猿がある程度の数(=閾値)を超えれば、実際に見たことのない猿までが芋を洗い始める、という話です。
それは、猿全体の集合意識が「知っているのが普通」になったからなのですね。

集合意識といってもいろいろあって、小さいところでは、家庭の中での集合意識から、職場や学校、大きいものでは日本人の、人類としての集合意識まであります。
これは個々の意識によって作られているのですが、逆に、個人の意識にも強い影響を与えています。
外国へ行ってみると、日本では当たり前と感じていたことが、ここでは周囲はそう思っていないと感じ、自分がこの集団とは違う、と実感することがあります。これは、自分の意識の幾分かが日本人としての集合意識に支えられていた部分があったということです。
集合意識は、無意識的に認識しているので、そこから出たり、反対行動を取らなければ気が付かないこともあります。
それくらい、集合意識というのは、個人の意識に強い影響を与えています。

1つの事が「当たり前だ、普通だ」と思う人が多くなればなるほど、それは他の人に伝わりやすくなります。
つまり、暴力が行われるのが普通だと思う人が多くなれば、それが集合意識に加わり、暴力を起こしやすくなってしまう、ということです。
テロや暴力行動を起こすのは個人の問題のようでありながら、完全に個人の問題とは言えません。なぜなら、バックアップの意識が強ければ強いほど、実際の行動にうつしやすいからです。
暴力行動を起こすことを心の底で願う人が多ければ多いほど、実際に体現する人が多くなる、とはこういう事です。
では、バックアップする集合意識に荷担しているのはいったい誰なのか?
それは、当事者や事件の関係者に限りません。お茶の間でテレビニュースを見ながら、やってしまえ!と叫んでいる人かも知れないのです。
事件や報道に触発され、暴力を認める集合意識に荷担しているのは、自分かもしれない、と理解しておく必要があります。

そう考えると、積極的に、暴力やテロを否定する意識を持つ、ということがとても重要になってきます。
アメリカで草の根の平和運動を行っている人が、反戦を望む人が人口の10%になれば政府が無視できない勢力になる、だから10%が目標だ、と言っていたのを覚えています。
何も全員の意識が変わる必要はないのですね。
1人1人の意識は、きちんと全体に反映されます。
だから、1人だと何も出来ない、というわけでないということ。1人でも暴力を否定する意識があれば、それがきちんと反映されるということ。
たった1人の意識でも重要だということを忘れず、常に自分の心のあり方を考えているようにしたいものです。


2002年10月14(月)  意識と食品と その2

食中毒の予防(これが本業なのですが…)についても、同じことを考えています。
何度スローガンや標語を呟いても、普段掃除できていない店主に掃除するよう言っても、行動が変わるとは思えない。
たしかに、正確な知識があるということは、人の行動を変えることができます。
知識が無い者に、知識を与えるのは大切なことです。知識があり、状態を認識して初めて、どう行動するかの選択ができるのですから。 
しかし、本質的にその人の行動を変えるためには、スローガンや表面的な言葉では無理があります。
なぜなら、その人の行動を支えているのは、その人が今までに培ってきた人生の経験なのだから。
その人は、何を重要だと思っているのか?
お金を儲けることが、人に誠実であることより重要であると思っているのではないのか?
ちょっとでも得する方が良いことだ、という価値観を持っているのではないのか?
誰も見ていなければ、ズルしてもいいのだ、と思っているのではないのか?
もし、そう思っているのなら、なぜ、そう思うようになったのか。

誰がそうした価値観を植え付け、助長したのでしょう。
親か、先生か、まわりの大人たち?それとも当時のすでに社会で活躍していた人たちか?
有名政治家は、立場を利用しお金をもうけ、アイドルスターも社会的地位の高い人たちも、スキャンダルをおこし、人間的に立派だと言える人が表に立つことは滅多にありません。
こんな大人達が社会で有名人となる世界では、「うまいことやる」のが正しい英雄像になってしまっているのではないでしょうか。
先日、表示の間違っていた食品を売ったおわびに、と返金処置を決めた店に、買ってもいないのに返金を申し出た人がたくさん現れた事件がありました。
「うまいことやれば得する」と考えているのは、企業人だけではありません。

では、いったいどうすれば、その考えを、変えることができるのでしょう。
人の心を動かすのは、ただ、「感動」だけだと私は思っています。
心から発した言葉、行動、絵画、音楽、あるいは世界そのものを感じることでしか、人の心は動かせないと思っています。


では、感動させればいいのか…と、今の仕事の中へ取り入れるのは、ほとんど無茶な話ですね。
それでも、その意志さえあれば、何らかの形で生かしてゆくことができると思います。
いいかげんにテキトーにやればいいや、と思えばその気持ちは伝わるものだし、伝えたいと思えば伝わるもの(全てとはいえなくとも)だと信じています。
誰も見ていなくとも、誠実でないことはしない。
そう思って、試行錯誤しながらでも、一石を投じて行ければ、と思います。

2002年7月22(月)  意識と食品と その1 

今回は、タブーを破って(笑)初めて仕事絡みの話を書いてみようと思います。
 
最近、食品業界関係の事件が話題になることが多いです。
食肉の偽装表示に始まり、産地のすり替え、期限表示の書き換え、長年にわたる指定外添加物の使用発覚など。
そのほとんどは、健康上の被害という観点からの問題ではなく、企業の信頼度というモラル上の問題です。
これを巡る評論家や有識者の意見として、「なぜ行政は見抜けなかったのか?」「監視がずさんだ」「チェック体制がなってない」という論調のものがあります。
これは、本当に正しい意見だと考えられているのでしょうか?
大半の消費者は、安全な食品を流通販売させるには、行政がすべての業者に貼り付いて監視する必要があると考えているのでしょうか。
これは、それだけの人間を雇ってもいいと言えるほど税金をかけても構わないと考えているのでしょうか、ということです。
監視の強化は、社会全体が、規制緩和という方向に向かっているのとは真っ向から対立する考え方です。
規制緩和ということは、自主管理、つまり、自分ちの衛生は自分で管理しなさい、ということ。
それが技術的に出来るようにアドバイスと手助けはするけど、後は自立して自分でやっていくように、ということ。
だから、これを担保するのは、ただ食品製造者の「モラル=良心」意識のみです。性善説ですよね。
それに、現在、地方自治体はどこも財政状況火の車、職員減らしにやっきになっているのが現状で、監視体制の強化など考えているところはないでしょう。
(人数増員無しの「できるだけ強化」はあるでしょうが…)
規制を強化せよとの意見は、バランスを度外した現実はずれな論調に思えてなりません。

営業者の中には、絶対に消費者に顔向けできない商品を作ることはしない!と断固とした信念をお持ちの方もいます。
しかし残念ながら、今の日本では、企業として「金儲け」と「良心」を測りにかけた時、「わからなければちょっとぐらいいいんでは」と決断する人の方が多いように思います。
人間としてのモラルは、根本的に、規制や監視の強化で取り締まりが出来るものではありません。
いくら監視を増やしても、24時間貼り付いているわけにはいかないのです。
もっと根元的な人としての意識の問題です。人間として成長してきた中で育んできたものが行動となって現れる。
あれらの事件に対して正当に怒っていいのは、「見つからなければ儲けもの」「うまくいったらそれで勝ち」と思ったり、それに従って行動したりすることが無い人だけです。
こういう類の事件をなくすには、関係者だけでなく、人の意識から変えていかないと解決にならない。
人の内面的な部分に対しては、法律も行政も無力です。
(続く)


2002年7月6(土)  宮城谷作品について

私が、宮城谷作品を好きなのは、自分の生き方と重ね合わせ、胸に響くものがあるからです。
確かに、表現力には欠けている部分があると思いますし、女性の描き方に不満もあります。
しかし、読んで気持ちよい、と感じるのは何より大きな魅力です。
細かな表現にこだわらず、人の精神のあり方を骨太に描くことができるのは、素晴らしいと思います。
多くは歴史上の実在の人物であり、その生き様を自分の手ですくいとり、魅力的な人物に蘇らせる。
史実に記された範疇からはみ出さない範囲で、最大限に想像力をはばたかせ、
「ここまで素晴らしい人物だった可能性がある」ぎりぎりのところまで描いて見せる。
人間というのは捨てたものではないな、と思える暖かさを感じます。


2002年5月7(火)  メッセージ 1

「外に現れることは、すべて心の中の投影ですから、
あなたが自分を愛している分だけ、人からも愛されるわけです。
自分を信頼している分だけ、人からも信頼されます。
」 
自分を信じ、自分を愛することがおろそかになっているという、天使の声


2002年4月29(日)  宮城谷・呂不韋論

ええっと、某所で投稿した全文です。
書くのに二日かかってもったいないので自分ちにもあげておくことにします。

宮城谷昌光氏の「奇貨居くべし」を読了しました。
この作品は、他の宮城谷作品のどれとも違いますね。
純粋に小説としての面白さが楽しめる「楽穀」とは違い、処世訓の多い一種の教訓小説の趣があるように感じます。

呂不韋という人物は、商人(賈人)から身をおこして秦の宰相となり、秦の始皇帝(政)の父親とも言われる人物です。
天下を我が物としようとした悪人である、という説が大半を占め、私自身にも、そのような印象がありました。
では、彼は何をした人物か?秦による統一を大きく進めただけでなく、テイ国渠を作るという、国の(人民の)ための大事業を成功させた施政者であり、学者を集めて「呂氏春秋」という類のない書物を編纂させた文化人でもあります。
はたして呂不韋が悪人であったのか、あるいは理想を追い求めた立派な人間だったのか、後世に生きる私達にはわかりません。
残された資料は、いかようにも読み解くことができ、また、その資料もしばしば書き手の意志によって作られた部分もあると考えられ、真実が書かれているわけではありません。

宮城谷氏が書いた呂不韋像は、自分の生き方に悩み、人間としての感情に揺れ動きながら、大きな理想を実現してゆく、とても魅力的な人物です。
人と出会い、人の心を得る人物とはかくあるべし、と周囲から見られる人物として描かれています。
白圭を書き、孟嘗君を書き、管仲を書き、楽穀を書き、太公望を書き、范雎を書いた宮城谷氏が、それらの人物の後ろ姿を違った角度で織り込みながら、この呂不韋という人物の人生を書いた。
それは、呂不韋が今まで書いてきた人物すべてを超える人間である、という解釈なのではないかと思っています。
長い春秋戦国時代を終わらせ、中華に初めての統一王朝・秦という新しい時代をもたらしたのは、今までの時代にはなかった人物である。
少なくとも、今までの枠に当てはまらない思想と行動力を持った人間ではなかったのか。
誰も考えなかったことを考え、やらなかったことをやる、そういう思想を持つに至った背景はなんだったのか?
多くの食客を養い、秦王に恐れられるほど人々に敬愛された、人としての重み、徳と器量はどこから来たものだったのか?

呂不韋は賈人でした。当時、賈人あがりというのは、身分不相応、あるいは畑違いと思われ風当たりが強かったことでしょう。現代では、企業のトップとなれる財界人は人徳兼ね備えた人格者である、と考えられています。
宮城谷氏が賈人(=財界人)に対して強い思い入れと関心を持っていることは、他の作品やエッセイからも明らかです。
賈人とは、人と出会って、その交わりを宝とし、人との信用の中で生きて行く者である。
何よりも、人を見る目を養うことが大切であると。
そうして、優れた目と徳を備えた賈人が自分の利のためでなく、他者に利を与えるために活かせると考えるなら、最上の施政者になれるのではないか、と。
そういう理想的な人物として、呂不韋は描かれていると思います。
その一方で、理想的に描かれすぎて、他作品の主人公ほど親近感を感じにくい人物像になってしまったような印象もあります。
それは、描かれた呂不韋像が、あまりにも現代人に通じる生々しさ…というか、近さがあるからかもしれません。

「奇貨居くべし」は、「晏子」や「介子推」のような人間に対する批判の鋭さや、「孟嘗君」のような純粋な面白さや、「太公望」「天空の舟」のように古代人の力強い生命力や意識などのテーマはあまり感じられません。
どちらかというと、鋭さを丸く削ぎ落として、全てのテーマを併せ呑んだ、という大河の流れのようなゆるやかな雰囲気が漂っているように思います。
今までの作品で描き続けてきた「人を見る」ことの意味、それによって「人が成長していく」ことの意味、それを描くのに、賈人で時代の変革者であった呂不韋は絶好の材料だったのでしょう。

今まで、春秋戦国時代の傑物を描き続けた宮城谷氏が、時代に捕らわれず、自分を表すことで時代を変えていった呂不韋という人物を描ききったこの作品は、まさに宮城谷春秋戦国物の総集編、と呼べると思います。

作品中でたびたび出てくる荀子の言葉、とても心に残りました。
生きて行くことは、本当の自分に近づいて行くこと。
生きている限り前に進み続けるという生き方、
年をとって内面からの光を放つ顔を持つ生き方、
そして、人と出会い、知り合えて良かった、と言われるような人になりたい。
そういう人間でありたいと思います。

小説としての好みの部類としては、別作品の方がもっと上位ですし、
個人的には、士会や介子推の方が好きな人物です。
でも、こういうことを考えられる小説を読むことができたこと、宮城谷氏に感謝したいと思います。


2002年4月10(水)  仕事、人事異動

 今年も人事異動はありませんでした。今の係に来て3年立ちました。
はたして異動したかったのかどうか?と自分に問うと、よくわからない自分がいます。
いいかげん、本職に戻りたい自分と、まだ今の部所でやり残した事がある、と感じている自分がいます。
3年間、同じ事していると、仕事に対して変えようという意欲が薄れている自分を感じます。
変わらなかったのは、あと1年の猶予をくれたという天の声でしょうか。
この3年、最善を尽くしたとは言い難い自分がいて、がんばれよ、とのことかもしれない。
日常を変えて行くのは難しいことですが、今年は今の場所での最後の年と思って、
やり残しはない、と言えるようがんばりたいと思います。


2002年1月12(土) 現代のひーろー?

 先日読んだ「リトル・カントリー」の中で語られていた言葉があります。
作者の分身ではないかと思える老人が、主人公の娘に、魔法について説明しているシーンなのですが、
ちょっと忘れられなかったので書き出してみます。

「教訓は、物語のいわゆる深層テクストのなかにある。
 今日の子どもたちは、ヒーローとして仰ぐように玩具を与えられている。
 少年少女の殿堂には、ロック演奏家や映画スターが 祭られているが、それは道徳不在の殿堂であり、
 麻薬はいけないと雄弁に主張していた演奏家が、二週間後にはヘロインを所持していたかどで逮捕される
 ということがある。銀幕の志操堅固なヒーローが妻に乱暴をする男だったと、 わかってしまうこともある。
 そこにある深層テクストは−−人は、なんでも望むことをしてよい。ただ、つかまらぬように注意せよ。そういうことをいっている。

読んで、妙に納得してしまいました。
子ども達は、大人の背を見て育つっていうのは、本当にこういう意味ですね。
、「生き方を見習いたい」ヒーローというのは、現実にはなかなか見つけるのが難しい。
この老人は、昔は、若者が反発せず読む物語から、自然に教訓を得ていた、と言っているのですが。
見本になれるほど完成された人格でなくてもいい、ただ、逃げずに誠実に正直に生きられれば、
それで十分、立派な背中になれるのではないかと思うのだけど。


2002年1月9(水) 言い訳 

 時間がないなんて言うのは、ただの言い訳だ。
問題は、ただ、自分の決意と意志の力だけ。
きちんと期限と目標を決めてしまおう。
まあ、仕事から帰って家事終われば、はにゃ〜ってなってしまってもしょうがない日もあるけれど。
自分で自分を追いつめないとなかなか進められないのは困ったもの。


2002年1月4(金) 新年にあたって

 新年になりました。
昨年1年、個人的には大変活動の幅が広がった年でした。
たくさんの方と知り合いになることができ、充実した1年でした。
自分のまわりにいる人って、自分を映す鏡かもしれない?だとすれば、昨年の私はまあまあ良かった方かな?
でも、自分に欠けているもの、至らないところ、今年もいろいろ精進していきたいと思います。

昨年、世間は激動の年でした。
今年も、たぶん激動の1年になるのだと思います。
地震も起こるかもしれないし、何が起こるのか・・・起こすのか・・・わからない。
世界の動きは加速し続けて、まだ当分おさまることはないのだと思うけど、こういう時だからこそ、生き方が問われているのだと思う。
困った時、辛い時ほど、意識してこころをクリアにしていないと、道を間違えそうな気がします。
今年が私にとって試練の多い年になるとしても、せいいっぱい悔いなく生きてゆけるよう、心がけたいと思います。
この世界に生まれてきた意味は、世界をこの身で体験することと、世界の一部として自分のやるべき事を果たすことだと信じています。

個人的には、またあっちこっち行ったり、いろいろ感じたりして、それをちゃんと表現できるようになりたいな〜と思います。
文章で書くのはまだましなのだけど、普通に自己表現するのってとっても苦手なんですよね・・・。
ともかく年女でもありますし、がんばりたいと思います。
今年もよろしく。


2001年12月23日(日) 地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第4番

 待ち続けていた映画、「地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第4番」を見ました。
今回の登場人物は、ガイア理論の創始者:ジェームズ・ラブロック、伝説と謳われたサーファー:ジェリー・ロペス、
チンパンジーの研究家:ジェーン・グドール、沖縄の版画家:名嘉睦稔の4人。
道は違えど、みんな同じことを語っている。人間の限界を極めるということは、真実を知ることなのだと思う。
この映画については、もっと書こうと思ったのだけど、うまく書けません。
美しい映像も、音楽も、実際に見ていただくのが一番ですね。心に届く映画です。

公式ホームページ           http://www.otrfilm.com/
関連情報を扱っているサイト     http://www.246.ne.jp/~hiima/gaia/gaia.html



2001年11月24日(土) 一期一会

 
暗闇の中、前を歩く人の背中を見ながら不思議な思いに捕らわれる。
今、ここにいる、この人とここを歩くことは、もう二度と無いのだろう。
この東京という土地のこの道路、前を歩く人、横にいる人、確かに今この瞬間、ここにいる。
今、同じ空気を吸い、同じ道を歩き、同じことを言っている。
みんな本来は、生活基盤の全く違う、離れた土地の人間だけど、
別々の人生を歩む人がその人生を交差させる、希有な一瞬にいるのだと思う。
時がくれば、みんな元の場所に帰って行く。
それはもう遠くない。
今、この瞬間を味わうこと、十分に感じること。
残された時間、せめて悔いの残らないよう、全力投球したいと願う。



2001年11月9日(金) 出張モバイラーの戯言

 自宅を離れた生活となって、10日を過ぎた。
テレビもほとんど見ることはなく、新聞も数日に一度見るだけ、家族とも、友人とも、慣れた職場の同僚とも会わない生活。
今までの環境がまったく無い場所で、新しい知人と出会い、友人となり、お酒を飲んで語り合うのもいいもの。
居場所が、備え付けベッドの上と机の前の数メートルのスペースだけでも、そんなに苦になるほどでもない。
とはいえ、自分一人になれる場所がない、というのはなかなか個人的な活動が出来ないものなのだと実感した。
これは子育てや家族のために時間を使っている方からみれば贅沢なのかもしれない。
でも、考えていることを、熟成させ発酵させるには自分の時間が必要だと思う。
こういう時期は、人生における「仕入れの時期」と割り切った方が良いのかもしれないのだけど・・・。
それでも、少しながらでも、自宅にいたころを同じようにインターネットで友人と話したりできるのが、唯一の精神清涼剤かと感じます。
PCもネットもただの道具だと思うけど、人との繋がりが感じられる使い方ができることに、
また、ネットを通じて話してくださる皆様に、大変感謝している毎日です。


2001年10月24日(水)  ふるさと 


 人によってふるさと、と感じるところは違うと思う。
自分の生まれた土地であったり、育った土地であったり、今住んでいる土地であったり、
それ以外にも一時住んでいたところ、あるいは祖父母のところ、学校で通い続けたところであるかもしれない。
また、何のゆかりもなくとも、一度訪れて不思議に愛着を覚え、ここが心のふるさとだ、と感じることもあるだろう。
そう考えると、私にとってふるさとと呼んでもよいところは幾つもあることに気付く。
生まれ落ち、物心付く前から7才まで暮らし、その後も祖父母が長く暮らし続けた泉州のI市。
高校3年間を通った心地よい城下町、Y市。
父の出身地であり、今も親族一同が住む、はるかな東北のS町。
大学の6年間から現在の勤務先に至るまでゆかりを持ち続けているS市。
両親が終の棲家に選んだ風光明媚な隣県の海辺の町、のどかなA町。
そして私の現在の居住地、山のふもとのS町。
どの土地も、確かに、私の中で生きている。
それは、その土地に立った時、自分のなかになじみのある感覚が立ち上がるということだ。
しかし、それよりももっと深く、心の奥深くから身体に響く場所がある。
そして、私にとって、心の底から「ふるさと」と呼べるのその場所は、
7才から28才までの21年間、少女の頃からから大人になるまで、暮らしてきた古墳と谷のまち、H町だ。
今は暮らしているわけではなく、親戚が住んでいるわけでもない。
だが、あの土地に立つと、全身の根本的な部分から喜びを伴って響いてくるものがある。
ここは私の場所なのだ、と、ここにいるのが正しいのだ、と、ここにいるのが当然なのだ、と。
私は確かに、この土地のものだ。
日差しの強さ弱さも、山の緑も、田圃を吹く風も、人々の息吹きも、何もかも。
例えどこで暮らすことになったとしても、この感覚が消えることはない。
私の一部は、あの場所で生き続け、そしてそれ故に、私は、どこへ行っても生きてゆける。
どこにいても、心の中にふるさとを感じ取れる、そういう幸せを感じている。

2001年10月18日(木)  天職適職

 
人には、天職と適職があるのだそうだ。
曰く、適職は、食べてゆくための仕事。
そして天職は、自分の魂を喜ばせるための仕事。
今の仕事が食べてゆくための適職なのはまちがいない。
好きでなった仕事ではないし、不満も多いし、楽しんでいるとはとても言えないけれど、
仕事に対しての誇りも持っているし、責任感を感じているのも確かだ。
では、私にとっての天職とはなんだろう?
心の底からやって喜びを感じることは・・・・?
おぼろげな答えは心に浮かぶけど、とても形になっているとは言えないのが現実。
人生の長さなんて誰にもわからない。
もう少しきばって、精進することにいたしましょう。


2001年10月2日(火)  金木犀薫る満月夜

 秋の夜、金木犀の甘い香りが漂うたび、胸が痛くなる。
いつのまにか時は戻り、キャンパスにいた頃の、将来への希望と、現状への不満と、
友達と恋と孤独のまっただ中にいたあの暗い甘い夜の中、
何かに決して負けまいと、瞳だけ光らせていたあの夜に、戻っているような気がする。
年を重ねることは、心強く豊かになることだと信じ、過去に戻りたいと思ったりはしないけど、
金木犀の薫るたび、時を止めたような幻のような感傷が身を浸す。
暗い夜空には、煌々たる満月が輝く。
その歴然たる張力で心を駆り立てる、夢幻のような十五夜。


2001年9月19日(水)  四知 

  時折、大抵は仕事のことだけど、どうにも八方ふさがりな状況に陥ることがある。
考えてみるに、怠け心を出していいかげんな仕事をしたことを思い出したり、途中で投げ出して忘れていたことが発覚したり、など、ほとんど原因は自分にある。
自己嫌悪してみても、今さら状況は良くならないし、嘆いても落ち込んでもぶつぶつ言っても、どうしようもない。
トラブルに陥った時は、誠心誠意、物事にあたるのみ。
誰も見てなくとも、天も地も、誰よりも私自身が知っている。
心の奥底の声を見失わないよう、
後で後悔するような行動はしないよう、もう少し、がんばってみよう。

2001年9月12日(水)  認めないこと 

  現実感がないほど、すさまじい事件が起きた。
アメリカという国に対する反感を背負って犠牲になったのは、実はアメリカ人だけではなかった。
アメリカの大統領はすぐに報復を誓い(現時点ではまだ実行されていない)、大多数のアメリカ国民はそれを支持するだろう。
だが、その報復の先には何があるのか?
罪もない一般市民を殺されたからといって、自分達が罪のない市民を殺してよいはずはない。
悪に悪で応えるほど、人間はまだ愚かか?
報復は新たな報復を生み、その連鎖を止めるには、どちらかが圧倒的な敗北をするか、その手前で積極的に調停に入るしかないだろう。
この少し先に、大きな犠牲と破壊と悲しみが生産されるのが目に見えるようだ。
しかし、この超大国が今、「戦争」という道へ進んだら、アメリカの国レベルどころか、「地球の安全」そのものが危ない!
これは対岸の火事でもなんでもない、私達自身の問題でもある。
私は、戦争を認めない。そう宣言することが、少しでも力になるなら、いくらでもそうしよう。
悲劇を回避する最大限の努力をするよう、また、それをやるべき立場にあるということ、我が国の総理殿がきちんと理解してくださいますよう・・・。

2001年9月7日(金)  映画を見て 
  
  「千と千尋の神隠し」を見てきた。
日常と非日常が交差する恐ろしさや、異世界の世界観、表現の面白さなど、面白い作品だった。
エンターテイメントとしての宮崎作品は、魔法にかかってわくわくして見ていられる素敵な作品だと思う。
主人公千尋(千)のへこたれない、がんばる気持ち。腐れ神に優しく、カオナシに優しく、ハクを救おうとする一途さ。
負けないで、がんばろう!その思いを、伝えてられてるだけで、素晴らしいなと思う。
私にとって、宮崎作品の一番の魅力は、メッセージを伝えるその力。
高校生の時、「風の谷のナウシカ」を見て、自分の進路を決めた。
あのころの思いは変わっていないか?
ちゃんと私は、曲がらないで私の道を歩いているか?
私は、ちゃんと、ひとの心に響く言葉を伝えることが出来ている・・・のかな?

2001年8月31日(金)  世界の声 

  
ここ数日、周囲がざわめいているのを感じる。
 本来、秋の気配を乗せた風は、一年で最も心安らぐ、至福の季節を告げる祥風だ。
 なのに、ここ数日漂っている大気は、落ち着かない、変成を追い立てるあわただしさに満ちている。
 確かに風は涼しくなった。だが、なぜ安らぎが感じられないのか?
 世界は何を告げているのか?
 その芯にあるものを見極めるには、心の目を使わなければならない。
 さっき読んだ本には、精霊の声を聞け、と書かれていた。
 精霊の声を聞くとは、要するに、周囲の世界に注意を向ける、ということだ。
 我々は世界の一部分であって、世界と繋がっているのに、自分は繋がっていないと思いこむのが孤立という錯覚を生むのだ、と。
 私に今できることは、しっかり目を覚まし、世界を見据えること。
 目に見えることに惑わされず、本質を見抜く努力を怠らないこと。
 そして、ネガティブな感情に流されず、周囲の澱みを払うこと。
 ・・・しかし現実は、睡眠不足と残業に疲れ、たまった家事と月末処理業務を抱えた、ただの酔っぱらいなのかも・・・。


2001年8月25日(土)  あるアプローチ


   先日以来、このホームページのアドレスよりなかなか熱烈なアプローチを下さる方がいる。
   どのくらい熱烈かというと、私のパソコンに侵入しようとしたり、木馬さんを送り込もうとしたり、
   1日に数回添付ファイル付メールを送ってきたりなどである。
   残念なことに、名前も名乗らず件名も書いてくれないので、返答はしていない。
   公共の場所でホームページを公開している以上、ある程度の危険性はどうしても避けられないことと思う。
   偶然、運悪く標的となることもあるだろう。
   だが、名も名乗らず、黙っていてさえ、人間の意志は感じ取れるものである。
   それは目に見える形ではないが、確かに感じとることはできるもの。
   まだ開設1ヶ月にも満たないホームページの、来る人がさほど多くもないホームページの、
   常時接続ですらない私のパソコンに侵入しようとする行為の向こうに見えるのは、
   「むかつく、おまえなんか・・・・」とウイルスファイルをクリックする個人の姿である。
   何にむかついているのか、なぜ自分がそういう行為をしているのか、自分で理解していますか?
   他者に悪意を送付する、心の奥に何があるか、きちんと自分の心をのぞいて見て下さい。 
   それは、あなた自身にしか、わかりません。
   私や他の方には、決してわからないのです。
   きちんと表現しなければ、あなたを理解することもできません。
   私からあなたに悪意を返すつもりはありませんが、これ以上の干渉は無用です。
   これ以上、痕跡を記録しなければならないような方法でのアプローチは、一切無用!!