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 その少し前のことである。
「瑠璃」
 煌きの都市の片隅で、朝から剣を磨いていたラピスの騎士は、驚いて振り返った。凛とした落ちついた声は、今日は玉石の姫の側にいる騎士のものだ。
「レディパール!?どうかしたのか?」
 珠魅一族の中でも最強と呼ばれる最年長の騎士は、ほれぼれするような深い闇を宿した瞳でラピスの騎士に相対した。彼女がこの姿でわざわざ自分の所までおりてくるのは尋常なことではない。瑠璃は内心引き締まるような思いで黒真珠の核を持つ騎士を見つめた。
「瑠璃、少し出かけてくる。」
「出かける?いったい、どこへ行くんだ?」
「ユィマのところだ。」
 昏い輝きを秘めた黒真珠の核が、深青色のラピスラズリと反応して鋭い煌きを放った。
「ユィマの?だけど、蛍姫は?」
「大丈夫だ…。皆もいる。ルーベンスにも頼んである。」
 瑠璃は不満げに腕を組んだ。
「なら、俺も行く。」
 レディパールは何を言うのか、という表情で瑠璃を見た。
「俺もユィマに会いたいと思ってたところだ。それに、俺は…」
 瑠璃は言葉を切って、つっけんどんに宣言した。
「俺は、貴女の騎士でもあるんだから!」
 珠魅族最強の黒真珠の騎士は、一瞬、不思議な眼差しで自分の騎士を見つめた。それから、誰もみたことがないような、なんともいえない優しい表情でうなずいた。
「…わかった。では…」
 周囲をまばゆい花々が取り囲んだかと思うと、見る間に騎士の姿は消え、白い核を持つ真珠姫に姿を変えていた。
「瑠璃くん!行きましょう、おねえさまのところへ!」
 世界のゆらめきと、聖域のマナの木の実体化を二人が目撃したのは、そのすぐ後のことだった。

 ユィマとシエラ、そしてペットのラビは、長い時間をかけて、聖域たるマナの木の、もつれあった根の先からようやくファ・ディールの地面に降り立った。
 少し離れたところで、一人の少女が待ちうけていた。
 先端が植物の蔓となった長い髪と緑の頭衣、縁飾りのついた緑のドレスを着た十六・七ぐらいの少女だった。衣装と同色の透き通った緑の瞳は、深い知性といたずらっぽい輝きを秘めていて、不思議な笑みでユィマの心を捕らえた。どこかで会ったことがあるような気もするが、思い出せなかった。
「ユィマ」
 少女の声は、どこかで聞いた柔らかい響き。
「ありがとう。あなたにおめでとうを言いに来たの。」
 ユィマは言葉もなく、不思議な透明感のある少女を見つめた。
「あなたが世界を変えた。今までの世界は終り、再生したマナの木のもとで、マナの力にあふれた新しい生き方が始まる。この日が来るのを待っていたわ。」
「あなたは…?」
 不思議な少女は軽く小首をかしげ、くすっと笑った。
「そう、この姿で会うのは始めてね。でも、本当は同じこと。私は世界、あなたと同じ、このマナの木と同じもの。」
 そう言うと、少女の身体がうっすらと透き通り始めた。
「ち・ちょっと待って!」
 ユィマはあわてて呼びとめようとした。しかし、透明な少女はにっこりと笑顔を残したまま、ふい、と空中に溶けるように消えてしまった。
あたりにはただ、暖かなゆらめきが大気に残っているだけ。
 二人は夢を見たかのように呆然と立ちすくんでいた。
「あの娘……生きた人間ではないな…。」
 シエラがぼんやりと言った。
「一度肉体を失い、奈落に足を踏み入れた者だ。私にはわかる。…ラルクと同じ匂いがするもの…。心当たりは?」
 ユィマは眼を閉じて考えこんだ。緑の瞳、優しい声。世界の変化を待ち望んでいた少女。いつか夢の中で見たような…。夢の…中?ユィマははっと気付いた。ウルカン鉱山の洞窟内で、ポキールに見せられた夢。あれは過去の夢に出てきた少女の姿ではなかっただろうか。では、彼女は…!
「…マチルダ?まさか…?だって、彼女は死んだはずだわ。老衰で…。」
「若い頃の姿?」
「10年くらい前の姿よ。精霊の守りを失う前の。彼女はまだ26歳だったの…。」
 悲痛な眼をしたユィマに、シエラは優しく噛み締めるように言った。
「それは、彼女にとって時間も空間も意味がないということだ。」
 獣人の瞳が聖域の光を受けてきらりと輝いた。
「自分が何者なのか、ちゃんと知っているということ。肉体の死は、魂の死を意味しない。あの人は肉体の檻を脱ぎ捨てて魂の自由を得たのね。きっと、ああいう人のことを、賢者と呼ぶの……。」

 二人が別れたのは、聖域にほど近いフィーグ雪原のほとりだった。
「ユィマ、我が友たるマナの英雄」女ドラグーンは、傷だらけのグローブごと片手を差し出した。
「貴女と聖域に行けて感謝している。また会おう!」
 雪原に舞う白い花びらが、友人の後ろ姿を隠して行く。ユィマは改めて周囲を見わたした。世界は美しい。雪の結晶の一つ一つさえも。
 マナの木が再生し、この世界はどう変わるのだろう?
 ひとつだけ、はっきり言えることがある。世界がどう変わろうと、私には大切な友人と、帰りを待つ者達がいるということ。私は賢者にはなれないけれど、この世界で生きてゆける。その事を、マナの女神に感謝し続けるだろう…。

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