楚、金文の甲骨文風(MAOさん書)

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第4日目 雨に煙る緑の国ー楚   6月17日(日)

移動日程    荊門 → 荊州 → 武漢(泊)  

主な観光地  
 楚王の北行道、楚紀南城跡地、荊州市博物館、荊州古城、孫叔敖墓

  
主な入手資料  荊州市省博物館の冊子 「荊州博物館〜歴史文物展覧簡介」(20元、カラー33P)
          書籍
「楚国簡史」(4元)荊州地図(2元)


楚は緑の国

 目が覚めたのは、朝の6時頃だった。
寝台車の上段はドアの上に荷物置き用のスペースがあるため、寝台が広々として快適である。
1Fにおりて、車両の端にある洗面所まで行く。蛇口の並んだ洗面所には長期旅行の人の物なのか、洗剤の箱が置いてあって安旅館のようだった。
自分の寝台に戻ると、向かいのS嬢がティッシュを探していた。すかさず下のFさんが、トイレットペーパー1巻きを差し出す。
「え、トイレットペーパー持ってきたんですか?」の声に、その横のAさんと私もトイレットペーパーのロールを出して見せる。
「ええええ、みんな持ってるんですか?!」思わず叫ぶS嬢。
「これ便利よ〜〜」「海外にはねぇ〜〜」「私も海外行くときには持っていくことにしてる〜〜〜」
「がーん、私の方が少数派だったんだ…知らなかった…」
ちなみに私のトイレットペーパーは、赤い花柄のきんちゃく袋にくるまれ、上から引き出し式にしています。

さて、窓の外に目をやると、鮮やかな緑が目にとびこんで来る。
うっそうと青草に覆われた小川、並々と水をたたえた水田、視界の続く限り緑一色の風景が広がっている。
良くみると、あちこちで牛やアヒルが畦に立っている姿も見られ、まるで日本に戻ってきたようだ。
黄金の小麦畑から、田植えしたばかりの青々とした水田へ、乾燥地帯から、湿度の高い水田地帯へ。
日本人にとっては、稲作風景が広がる楚の国の方が、体質的に近いものがあるかも知れない。

そう思うと、俄然、楚という国に対する親近感と興味が涌いてくる。

朝7時50分、列車は「荊門」駅に着いた。(写真45)
荊門は、観光地ではないので、外国人が来るのは滅多にないという。
前回のツアーでは、改札の駅員さんが日本人を見るのは初めてで、いったい何人なのかと質問されたそうだ。
列車の外にでると、雨の後の湿っぽい空気と、濡れた道路が待っていた。
駅舎のすぐ横には地道が通っている田舎の駅である。
ここで、私達を出迎えてくれたのは、ツアーのS嬢より若く見える、目のくりくりした女性。
そう、彼女こそ、この湖北省のガイドであり、熱意と初々しさでツアーメンバーに愛されることになるA・Sさんだった。
朝の8時前に待機してくれていた彼女と湖北省のバスは、私達を朝食場所・国際飯店へ連れて行った。

荊門は、荊(=いばら、楚国の別称)の国の門という意味で、文字通り楚の北の玄関口である。
洛陽から荊門までは約590q、荊門から中心部の荊州までは80qである。
西に山地、東に湖がある楚にとって、中原に進む道は、荊門から洛陽に伸びるこの道だけだったという。
Gさん曰く、これは「楚王が北に向けて兵を進めた道です。この道はとても古い道でこれ一本しかないのです」」
そうなのか!かつて楚王が旅を発した道を、私達はバスで南に下ってゆく。
2000年以上立っても同じ道を歩ける、このスケールがまさに中国なのだと実感する瞬間である。



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