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庭とトイレ
 外に出ると、陽光のまぶしさに目がくらんだ。
時刻は16時だが、まだ日中と言って良い日差しである。おもわず日除け上着を頭から被り、サングラスを掛ける。
建物の周囲には広い庭が広がり、薔薇が咲き乱れて、緑が美しい。よく手入れされた庭である(写真3)
無性に誰かに話しかけたくなって、ご夫婦、親子、友人と参加している方がうらやましくなる。
こういう場で、「あれ、すごいね!」の一言を交わし、感動をわかちあえる人がいるとどんなにいいだろう。
メンバーとはまだ、出会って数時間で名前も覚えていない。だが、あれこれ見回して、唯一、明らかに私より若い女性であるS嬢とお近づきになろうと決めた。仲良くなれるといいなあ。
 改めて周囲を見回すと、庭にたたずむ老人が、こちらをじっと見ていた。
Gさんが言うには、彼は定年退職になった元職員である。中国では男性は55才で定年、女性はもう少し早いのが普通である。
女性の社会進出が普通で、男女平等を実践しているような中国にも、やはり矛盾はあるらしい。その老人は、定年後も元の職場の庭の手入れをしているのだということだった。

 西安市内に戻るまで、まだ小一時間あるので、希望者は庭のトイレに行くことを勧められた。昔ながらの中国名物トイレである。
トイレを庭から隔てる壁はあるが、個室のしきりはない。あるのはただ、傾斜のついた穴だけである。個室に慣れきった日本人は、人がいるのにお尻を出すことにためらってしまう・・・。
だがここは中国なのだ。これしきのことでひるんでいてはこの先やっていけない。
しゃがむ方向も、日本とは違って、顔を前へ向けるのが普通である。お尻を次の人に見られなくてすむからか、、穴の中の汚物を見なくてすむからか、理由はわからないが・・・。
久々の中国トイレに遭遇した私は、腹をくくってこれからもがんばるぞ!との思いを新たにしたのだった。
そして、私たちは、西方の強い日差しがあふれる元・周国の美しい庭園を後にした。

餃子の宴
 
バスに乗って豊河を渡り、再び西安市内へ向かう。
辺りは一面、収穫の終わった麦畑である。刈り取った畑のあちこちで煙が上がっている。
このあたりは二毛作が普通で、昔から麦畑の切り株を燃やして次のトウモロコシを植える習慣がある。
今は大気汚染の心配があるため畑を焼くのは禁止されているそうだが、それでもみんな燃やしているとのこと。
農民のしぶとさというか、強さを見たような思いだった。バスは農村地帯を抜け、再び市の郊外へ、そして城壁内に入って市の中心部へ。ここで夕食を取ることになる。

 本来1日目は、西安で豊鎬遺跡を見た後、飛行機で次の目的地である太原へ向かうことになっていた。
しかし、旅行出発の3日前、初日の西安ー太原空路が機体の事情で便がなくなってしまったこと、代替交通機関として、夜行列車で太原に向かうことになったことが説明されていた。
初日から風呂無しでスーツケースなしの夜行列車とはハードだが、仕方がない。しかし、この夜行列車の確保にどれほどGさんが苦労してくれたことか・・・。
とにかく、その夜は、西安駅を21時43分に出発するまでの時間、西安の名物、「餃子宴」を味わうことができることとなった。
これは、(航空運賃+太原のホテル代)ー(夜行列車運賃+太原での朝食代)の差額から出るものらしく、払戻金もあったのだが、予定変更のお詫びも兼ねた、オプションなのであった。
 店は市の中心部・鐘楼前の広場(写真4)の前にある老舗、「徳発長」である。広場でバスを下りる直前、Lさんから、物売りが群がってきても相手をしないように注意があった。
だがまだ早い時間だったため人もまばらで、悩まされる程のこともなかった。

 店に入ったとたん、餃子のディスプレイに目を奪われた。
あるわあるわ、豚の形の餃子(写真5)、トマトの形の餃子、クルミの餃子、アヒルの餃子・・・
 2階の席に座り、わくわくしている私達の前にせいろがやってくる。かわいい蒸し餃子が1人1個の人数分入っている。
色も形も味も違う餃子に次々と歓声があがる!
まもなく店では生演奏が始まり、店の怪しいおじさんが紹興酒酒器セット&中国梅干しを販売しはじめたりで、値切ったり交渉したりしながら楽しい時を過ごした。
 この中国梅干しは、種を取って小さくした普通の梅干しをバターや何かで甘く味付けしたもので、紹興酒に入れても良いとのこと。
人によって好みが別れると思うが、私は結構気に入った。紹興酒も大好きなので一人一杯のサービスは嬉しかった。
 結局この日食べた餃子は、野菜、海老、豚肉、白菜、マッシュルーム、あわび、クルミ、豚肉&卵、鳩、鶏、アヒル、トマト&筍、あん(餡)、魚の肝、フカヒレ、の15種類の蒸し餃子と、焼餃子、水餃子、そして最後にスープに入った真珠餃子(約1.5p)だった。
もう2度と無いような豪華な食事に、私達はすっかり満足したのだった。

 夕食を終えて店を出たのは18時45分だった。
まだ列車の時刻には早いので、市内のショッピングセンターへ行き、土産物を買うことになった。
Gさん曰く、今回の旅はマイナーな場所巡りなので、あまり土産物を買う場所に行く機会がない、とのこと。
添乗員のAさんも、早めに買っておいた方がいい、とおっしゃったので、初日ではあるが、職場や家族へのかさばるお土産を買い込んだ。
また、隣には足のマッサージ屋があり、そちらに行った人もいた。私やS嬢はお土産の物色と冷やかしで疲れたので店でくつろぎながら、出発時刻を待っていた。
紙コップとお茶の包みを持ったGさんの姿が見えたので聞いてみると、バスへどうぞ、とのこと。
店を一歩出ると、周囲は一変していた。すっかり暗くなった町は人がたくさんたむろしている。店の前の広い歩道で沢山の人が太極拳をやっている。
思わず端に加わって動き出すメンバーもいる。ここでは一人二人混じっても区別がつかない。夜の町では、人と人との距離が近くなる。いつでも、この中に入ってゆける。
そんな気分を感じつつ、バスに乗り込んで西安駅に向かった。





周の字、北魏時代の楷書(MAOさん筆)

夜行列車に乗って
  
西安の駅前は、お祭りのような人出だった。特に何かがあるわけではない。
冷房設備のある家庭がまだ少数派なので、夕食を終えた人々が夕涼みのために夜の広場や町に集まって来るのである。
太極拳をするグループ、社交ダンスをしているグループ、ただ走り回って騒いでいる子供達、物売りもいれば、駅で荷物や人を待っている人もいる。
楽しげな人々にいっしょに混じりあいたい気分に誘われるのだが、ここで迷子になるわけにもいかない。
私達は異国の旅人、前の人の荷物を目印に駅のホームへついて行く。人が多いので、見失わないでついていくのもなかなか大変である。

  地下通路を抜けて、ようやく長春行き列車の来るホームにたどり着く。しかし、ホームは長い。
いったいどこまで続くのかと思うほど延々と長い。
私達の乗る寝台「軟臥」車は特別増結車両、つまり、列車の最後尾に無理矢理くっつけたものである。
車両に乗るためにはホームの最後尾まで行かなければならないのだった。
 中国の寝台列車には、3段式のリーズナブルな「硬臥」と2段式で高価な「軟臥」があって、国土の広い中国では長距離移動に列車を利用することが多く、寝台列車はポピュラーな乗り物である。
人気があるので、席の予約をとるのも結構大変であるそうだ。
当然のことながら、数日前に飛行機キャンセルで、飛び込み予約することになった我々20数名分の空席などがあるはずはない。
Gさんが事情(飛行機がなくなった)を話しても、国鉄は車両の増結(しかも途中の太原までだけ)にはなかなか首を振らず、結果的にかなりお金を支払ったらしい。
そんなGさんと会社の努力のかいがあって、私達貸し切りの車両を最後尾にくっつけてもらい、太原に行けることになったのである。

 この乗車ホームで、西安ガイドのLさんとは一旦お別れになった。彼女の素晴らしい笑顔と1週間後に再会することを約束して、手を振る。
旅の最後に西安に戻り彼女と再会する時、私達はいったい何を見て、どんな経験をしているのだろうか?

 さて、乗り込んだ列車は4人1室の快適な部屋(コンパートメント)だった。
部屋の中央にはテーブルと浅い金属トレイ、そして2個の魔法瓶が備え付けられている。栓がコルクなのが柔らかくていい感じである。(写真6)
 上段にも下段にも、枕元には枕灯と非常用ブザー、荷物用の網が備え付けられ、寝台は広くて清潔で快適である。
室内がブルーのカーテンで統一されているのも、涼しげで、これまたいい感じ。 「日本の寝台列車よりいいわ〜〜〜」と一同感激する。
 私は、一人参加の女性3人と同室になり、改めて自己紹介する。
年長のAさんとFさんは中国旅行は初めてだが、若いS嬢は以前に研修で来て寝台列車にも乗った経験があるとのこと。
年長のお二人に下段を譲り、私とS嬢は上段で寝ることに決まった。
4人であれこれ話をするうちに、Gさんが人数分の紙コップを持って簡単な説明に来室された。
彼曰く、この車両の入り口付近には洗面所とトイレがある。室内の魔法瓶にはお湯が入っているはずである。
部屋のドアの内側には鍵とストッパーが備えられているが、ストッパーを倒すと、ドアは数センチしか開かなくなる。
人は入れないが、顔を見ることは出来るので、顔を確認してから入れることができる。
鍵は車掌さんならいつでも開ける事ができるので、安全のためにストッパーをかけることをお勧めする、とのこと。
なんて良くできたシステムだろう!!切られたら終わりのホテルのチェーンよりよほど上等だと思う。

 しばらくして、Gさんが今度は緑茶のティーパックを持って参上。
そう、先ほど土産物屋で買っていたのは、車内でみんなへ配るためのお茶だったのだ。
1部屋ずつ、「日本のお茶ほどおいしくないですけど・・・」と配ってくれるGさん。その気配りに心を打たれる。
  初日の夜は疲れていることもあり、また、他のメンバーとそんなにうち解けてないこともあり、しばらく話をして、すんなり休むこととした。
寝る前に、停車中は使えないというトイレへ行った。洋式の木製便器にしゃがむと、下の穴から夜の風が吹き抜けてくる。
たれ流しトイレ列車の走る線路の上は、あまり歩かない方がいいかも知れない・・・。
明朝は、いよいよ、晋の国に入る。寝転がって運ばれる寝台列車の旅は、士会の馬車の旅とはくらべものにはならないだろうけど、同じ大地の上、揺られながら旅している。
身体の下で汽車が動く振動を楽しみつつ、私は闇の中で目を閉じた。


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