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 晋は黄砂の国・平遥

  平遥に到着したのは、13時45分だった。城壁に覆われた町に着くと、外のだだっぴろい駐車場でバスは止まる。普通車も止まる。
この「平遥」は城壁に囲まれた町全体がユネスコの世界遺産に登録されており、町の内部への車の進入は禁止されているのだ。
立派な城壁に見とれる私達一行。(写真19) 
町の中は、車の通行が禁止のため、バイクと三輪車がすごい騒音で爆走する。
石畳の道の両側には、「ひとむかし前の中国」そのものの、診療所や、商店が連なっている。
道を曲がって中心部に近づくにつれ、町は華やかな彩りを帯びてゆく。
黄色い砂一色に染められた道路から、観光都市としての見栄えを整えた、黒びかりする柱と赤い旗があちこちに翻る華やかな道路へ。
道の両脇には、「取っ手のついた洗面器に水を張ったもの」がずらりと並んでいる。その横には「2元」の札が…??
「これ、何??」誰かが訊ねると、店主が実演してみせた。
取っ手の部分をつかんで、強くこすりはじめると、その水の入った器がぶぅ〜〜〜〜んと唸り始める!!
その振動に同調して、器の中の水が跳ね上がる。「高い音が鳴ると、幸運のしるしだそうです。」
う〜〜ん、ただの飾りではなかった。これも立派な商売の一つ。
幼い頃、祖母達とともに彼岸の時期に四天王寺へ行くと、参道に店を出す露天商が怪しげな占いや、開運商品を並べていたことを思い出した。

やがて、ガイドOさんは、我々を食堂へ誘った。
簡易ホテルとのことだが、内部は典型的な中国の食堂で、おそらくこの町では外国人も利用するかなり上等な店の一つだと思う。
若い店の女の子は、推定10pの厚底サンダルを履いたまま、てきぱきと席の準備をしてくれる。
テーブルには、魔法のように次から次へと見たこともない食事が現れる。
麺食が中心なのはわかるが、あれもこれも見事に小麦粉製品ばかり!!ここ晋国は、小麦の国なのだ。
この風変わりな白い円錐形の塊は何か?とみんなこわごわ味見する。「・・・麺だわ〜〜〜」
「え、これも麺??」「猫耳麺と呼ばれています」etc・・・。
さらに驚いたのが、揚げじゃがいもの甘いあんかけ料理に入っているグリーンピース大の緑色の丸いもの。
形も色もグリーンピースだが、味はどう味わってもそうじゃない。で、何なのか全く何かわからない。
「これ、何?」と中国でのビジネス経験の長いO氏が中国語で尋ねる。
「イーントゥー」 「は??」 「(何度かゆっくり発音してくれる)イ〜〜〜ントゥ〜〜〜〜〜」
それでも誰もわからない。O氏はついに「ここに書いて!」とノートとペンを手渡す。
お姉さんが書いてくれたのは、「櫻樹」の文字だった。
漢字を見て、初めて理解と驚きの声があがる。「ああ!!さくらんぼだったの!!」
そう、「櫻(=桜)樹」は文字通り、櫻の実のことだったのである。
日本ではあまりさくらんぼを料理には使うことがないし、ましてや緑のままで使うことは滅多にないのではないだろうか。
また、揚げ物数種の皿が来たが、その中のひとつは「あんこ」の揚げ物だった。(写真25)
また、この店の中庭の奥には、先祖を祭る立派な胸像があった。
ツアーメンバーの1人は、店の主人らしい男性に誇らしげにお参りしても良い、と誘われたらしく、楽しげに談笑していた(但し、言葉は通じていなかった)。
他にこの店では、甲骨文字をあしらった掛け軸などがあり、あの字は「心」だ、などと、学識?の高い我らがメンバー達も盛り上がっていたのだった。

それにしても、平遥は楽しい街だ。
通りで幼児は泣き叫び、ガイドが客を呼び集めるといつの間にか通行人がなにくわぬ顔で人の中心にいたりする。
こんなに普通に生活している庶民と触れ合える場所は他にない。
住人がまだ外国人観光客慣れしていないため、中国人観光客に対するのとと同じ態度で接している。
走りすぎるバイクはうるさいし、道端で売っている西瓜は美味しそうである。
客を呼び止める店の者も、どこかのんびりしている。
数年後には、彼らも他の観光都市のように、(日本人を含めた)外国人ずれして行くのかもしれない。

この平遥は牛肉が名物であり、あちこちにその看板を見かける。(写真20)
もうひとつの名物は、「銀行」である。
ここ平遥では、清代の末に、大商人がたくさん出て、中国国内の銀行の7割が平遥の町にあったのだとか。
全てが国営化した現代では、大商人の一族はみんな香港やアメリカへ行ってしまい、銀行の跡はほとんど小博物館となったそうだ。
今回は時間がなくて回れなかったが、小さな博物館は見てみたかったと思う。
また、ここは旧日本軍が駐留していた町でもあり、1000人をひき殺した過去があるのだという。
こういう話を聞くのはやはり辛い。
自分が生まれる前のことだとしても、まだ当時の被害者が生きていて、日本人に対する恨みを感じていたら、生まれる前のことだから自分には関係ない、と言えないと私は思う。
先人の遺産には、負の遺産もあると思う。先人が十分に精算しなかったことを受け継いで精算するのは、残念ながら負の遺産を受け継いだ者の務めではないかと私は思っている。
その話を聞いた我がメンバーが、「日本の恥です」と呟いた。私も心中でうなずき、こう言う感覚の人が排斥されなくてすむメンバーで良かったと思った。
その一方で、ガイドのOさんは、誇りに思える日本人の話もしてくれた。
それは、この中世そのままの城壁と中世の街並みがキレイに残されたこの平遥の町を、世界遺産に推薦した日本人である。
「田中淡」というその人物は、私達は全く名前を知らなかったのだが、この平遥の町に惚れ込み、町一つをまるまる世界遺産に、と奔走した人であるそうだ。
中国政府は最初あまり乗り気でなかったようで、彼の努力がなければ、世界遺産への指定は無かっただろう、とのことだった。

市の中心部分である市楼まで歩いた我々は、再び入口まで戻って、城壁の上にのぼり、町を見下ろした。(写真21〜24)
城壁は、平遥の町全部を取り囲む完全な形で残っており、城壁の上を歩いて一周できるとのことであった。
それにしても、大変な砂ぼこりである。
食事の時間も含めて、わずか2時間半いただけなのに、口の中はざらざらとして砂だらけ。
なるほど、晋人の歯は黄色いわけだ・・・と、宮城谷氏「重耳」の冒頭部分を呟くと、一同に大受けした!!
う〜〜ん、さすがは宮城谷氏愛好家集団たる我が知音の会のメンバーである。
気が付くと、カメラのシャッターも砂が入ったのか、半開きのままになっていた。

晋の字、北魏時代の楷書(字・MAO)


 綿山はるかに


 平遥を出たのは16時15分、途中漆工場にてトイレ休憩をはさみ、バスは一路、南に下り始めた。
実は、私には日本を発つ前から秘かに楽しみにしていることがあった。
平遥を出てから臨汾へ向かう途中、綿山のすぐ側を通るのだ。
綿山・・・言わずと知れた、緜上の山、!介子推の登ったという、俗に「介山」とも呼ばれる綿山のことである!
介子推の故地を、本当にこの目で見ることができる??
バスが南下するに従って、地図と道路沿いの看板を見比べ、現在位置をさりげなく確認する。
平遥から、鉄道と並んで走る国道108号沿いに南下すると、介休市がある。介休市から街道をはずれ、東南20qのところにあるのが、綿山である。
見えるかな〜〜、見えるかな〜〜と、介休市を過ぎたあたりから左手前方に必死で目をこらしていると、我らがガイド・Gさんがマイクを握って立ち上がった。
「皆さん、左手前方を見て下さい。」 
おおお〜〜、出た、Gさんのナイスガイド!!もしかして説明してくれるのではないかと思っていました!
「今日は、あいにく天気が悪くて(曇天だった)視界があまり良くありませんが、左手に綿山があります。綿山は、介子推の登った山です…」
一同どよめき、必死に前方に目をこらす。
あいにくの曇天で、空の色さえ砂色に霞んでいる。かすかに、ぼんやりと山の輪郭が浮かんでいる。
望遠最大にしてカメラを構えたが、残念ながら写真にはほとんど写らなかった。バスの中からだもんね…。(写真26、27)
しかし、私は、うっすらとでも綿山を見ることが出来て、感動していた。
ああ、今回の旅行の目的の一つを果たした〜という気分である。
「今の綿山は、木がほとんど無くて、ハゲ山状態です。」 確かに、目に入る山々の姿は見事なハゲ山である。
春秋時代のこのあたりは、黄土高原でも現在のような姿でなく、木々の生い茂る緑の高原だったと言われている。
緑の多少はあるとしても、ここの景色は、介子推の時代から、変わらぬ風景だったのだろうか。
ふと、そんなことを考え、春秋時代に思いをはせたのだった。


臨汾ホテル・風呂事件

小さな町をいくつも通り過ぎ、バスは臨汾の町に入った。(写真28)
こうやって観光コースでない路を辿ると、中国の町の実際の姿というものがよく見える。
臨汾は、この山西省南部では大きめの町であり、外国人(日本人)宿泊に耐えられるランクのホテルがあるとのことで宿泊地に選ばれたそうだ。
翌朝行くことになっている、候馬ではもう1ランク落ちる宿しかない、とのことであった。
私は、Fさんと二人部屋を使っているのだが、ここのホテルではなかなか面白いことがあった。
夕食までに少し時間があったので、私は先にお風呂に入ったのだが、シャワーがうまく回らない。
引っ張っるとお湯が出るようなのだが、どうもだだもれでシャワーの役にたたない。
仕方がないので、頭を洗うのに、風呂桶用の蛇口の下にかがみこんで頭をつっこみ、無理矢理流した。
そして、最後にたまった湯を捨てるため、風呂桶の栓を抜こうとすると水圧で抜けない!!
どわ〜〜〜〜!!これは困った、また後がいるのに!と四苦八苦して道具で引っかけて栓をこじあげた。
すると今度は入らなくなってしまったので、焦って無理矢理押し込む。…かなりやばい。
というわけで、Fさんと食事に降りて行き、添乗員さんにお話すると、ホテルに言ってみるとのことであった。
食事から戻ると、さっそくバスルームに、修理のお兄さんがいて奮闘中。客室係のお姉さんも覗いて、冷やかしているらしく楽しい笑い声が聞こえる。
ちらっと覗くと、お姉さんはさっと勤務顔に戻って廊下へ戻っていった。
お兄さんは、シャワーをあちこち引っ張り、また風呂桶の栓を引き抜いたが、やっぱり入らなくなってしまったようで困っている。
こ、こんなことで大丈夫だろうか…と内心心配になったが、明るいお兄さんにお任せするしかない。
しばらくすると終わったようで、彼が一応声を掛けてくれた。「好了!(できました)」 思わず、「好了?(ほんとにできた?)」 と笑いながら返してしまった。
まあ、本当に治ったのかどうかは別として、笑顔でコミュニケーションできるのは楽しいことだ。
このやりとりを話して、Fさんと大笑いしてしまった。
ちなみに、翌朝、Fさんにシャワーは使えたか聞いてみたら、やっぱりダメだった、とのことでまた大笑いしたのであった。
もちろん、風呂の栓もまた開かなくなってしまったそうだ。
シャワーのゆるんでるらしき部分には、ビニールテープ巻いてくれてたんだけどなあ…。
そんなわけで、2日目の夜も無事に(?)過ごしたのだった。


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